選択的夫婦別姓の議論では賛成派、反対派が各論、具体論を闘わせている。
「賛成派は戸籍制度を潰そうとしている」、「いや、選択的夫婦別姓が実現した場合にも戸籍制度は変わらないと歴代法務大臣が答弁している」、「通称使用の拡大で対応できる」、「制度をこう変えた場合のコストはいくらになる」、「パスポートや銀行口座を作るときの不都合は解消されていない」などなどだ。
ここではこのような各論を検討するわけではない。
そうではなく、もっとシンプルで一見強い論理は次のようなものだろう。それは、
『「選択的」なのだから同姓にしたい人はこれまで通り同姓にしたらいい。なんでその人たちに迷惑をかけないのに別姓にしたい人の自由を妨げるのか』というものだ。
個人が個人として尊重されるべきという理念からすれば、「他人に迷惑をかけないなら個々の意志が認められる制度にすべき」という論理は非常にわかりやすい。
これに対して反対派はうまく答えられていないように見受けられる。「反対」という結論が先にまずあってそこに理屈をこじつけようとしているようにも見える。「伝統的家族制度が…」といったノスタルジーの押し付けだったり、「戸籍制度の破壊を目論む勢力の陰謀だ」的な陰謀論になっているように見えてしまうのだ。ちなみに私はこれらが間違っているというつもりもない。
今回はそうではなく「選択的なんだから問題ないじゃん」という論理に真っ正面から反論したいと思う。
それは結婚という制度の目的、意味が考えられていないということだ。わざわざ国家が結婚という個人間のつながりをなにゆえに制度として承認しているのかということだ。
「いや、結婚の意味や目的も個人がそれぞれ決めればよい。法律にどのような目的の結婚なら認めると明文化されているわけではない」と言う人もいるかもしれない。それならばこれはどうだろう。
結婚には各種特権がある。例えば配偶者控除などの税制上の優遇。あるいは配偶者の性的自己決定権の一部を縛る権利、つまり不貞行為を禁ずるように要請できる、などだ。
国家の承認によって優遇措置が認められている以上は「選択的なんだから人の勝手でしょ」というのは直ちには通らない。
もちろん「承認してやってんだから文句あるなら結婚するな」というつもりはない。言いたいのはあくまで「選択的なんだから人の決定に口出しするな」という論理は、それだけでは直ちに自明のものとしては通用しないと言っているだけだ。
意味や目的ということで言うと、配偶者控除は「夫婦は助け合って生活しましょう」という理念があるのかもしれないし、「不倫はダメ」というのは閉じた関係性を構築するように要請しているのかもしれない。あるいはこれらは正しい結婚像、結婚の本質を提示しているのかもしれない。
もちろん「夫婦が同姓であることは結婚の意味や本質に関係ない」という意見もあるだろう。それならばやはり、その意見もまた結婚とは何なのかを議論していることになるのであり、「人の勝手なんだから他人にごちゃごちゃ言われずに別姓を選べるのが当たり前だ」という論理とは異なる次元の議論となっているのだ。
それに「選択的なんだから人の勝手」ということであれば「複数婚や近親婚はダメなのか」という疑問にはどのように答えるのだろうか。本人の自由意志のもとであれば、これらもまた他人には迷惑をかけていない。もしも「別姓はいいけど、複数婚や近親婚はダメ」というならば、「このような結婚は結婚と認めるけど、あのような結婚はダメ」というように線引きをしていることになるのであり、これは結婚の本質を考えていることになる。
ちなみに複数婚や近親婚を認める社会や時代もあるのであり、それはつまりそれぞれの社会が何らかの意味で結婚の本質を規定していると言える。
その意味で「人の勝手」以上の線引きをもしするのならば、それは日本社会には日本社会においての結婚の在り方を考えるのがふさわしいということになる。
同様に「少数であっても同姓にしなくてはいけないことで困っている人がいるなら手をさしのべるべきでは?」という考えも、これ自体は間違った考えではないものの、だからといって結婚の意義や優遇の現実などを無視していいわけではないということが言えるのだ。
ただ現状の議論で「他人に迷惑をかけないなら人の勝手だろ?別姓を認めることにどんな不都合があるのか言ってみろ」に対して反対派は明確な根拠を示しているように見えなかったり、奥歯にものがはさまったような言い方をしているようにも感じる。
しかしこれとても反対派の本音であるかもしれないところの「戸籍制度破壊を目論む勢力の陰謀だ」とか「家族制度は社会の基本だから安定させるべきであり、安易にいじるべきではない」といった話が、大して関心のない一般の人たちにわかってもらいにくいということを反対派の人たちが恐れているからであるようにも感じる。ましてや「皇室を破壊したがっている勢力と別姓推進論者が同じグループだ」といった言説は一般の人の中にはエキセントリックにさえ感じる人もいるかもしれない。
つまり「人の迷惑にならないなら別姓にする人がいてもいいじゃん」というわかりやすい論理に、そこまで関心のない多くの人が流されるという観測があるからかもしれない。
これも多くの人が結婚なら結婚の本質や意義、結婚する人を優遇する理由を射程に入れて考えていないからだろう。
結論をまとめると、
社会の制度や問題を考えるときは「迷惑をかけなければ人の勝手」とか「困っている人がいれば助けるのが当たり前」といったわかりやすい論理だけで結論を出さずに、それらの意義や本質までを射程に入れて考えるべきなのだ。
しっかりした持論を持っている人や熱く議論する人以外の人たちも、多少なりともそのような態度をもつことで、社会や国家の意志決定の質やレベルも変わってくるに違いない。
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